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なぜ「としょかん」なのか?

みんなのとしょかん、代表の川端です。
少し長文になります。

私たちが設置する「としょかん」。図書館とは記載しません。
理由は大きく2つです。

一つは、私たちが設置するとしょかんは、設備も簡素で、決して大きいとは言えない場所です。
これは予算の関係もありますが、少しずつ地域の状況に合わせ、自由に変えることが出来る場所であるとともに、何より地域の方に育てて頂ける場所であってほしい、という思いがあります。
そんな場所だから「図書館」なんてカッコいい、大それた名前は付けず、これからも発展していく過程の場所として「としょかん」と名付けています。

そして、もう一つは、
私たちが設置するとしょかんでは色々な事が行われます。
カルチャー教室やパソコン教室はもちろん、外でバーベキュー大会や、音楽会まで。。としょかんに家族で来て、お弁当を食べながら本を読み聞かせしている光景も見かけました。
本来、図書館であればNGなものも「としょかん」ではOKです。
(飲酒、喫煙は全館NGにしていますが。。)

誤解をして頂きたくないのは、「図書館という建物はもっと寛容になるべきだ」なんて全く思ってはいません。むしろ、公共の場所である、という事と、書籍の保護の観点から、しっかりとしたルールに基づいた場所でなければならないと思っています。

私たちが「としょかん」を設置する理由は、知の充足は勿論ですが、
それよりも、

誰が行っても良い場所、
誰と行っても良い場所、
誰がいても気兼ねない場所、

そんな場所を、コミュニティの存続が難しくなっている地域につくる、
という事にあります。

「としょかんから始まるコミュニティを目指して」
誰が行っても良い場所だからはじまるものがある、出来る事がある、
そう思っています。

私の実家は古い旅館でした。
旅館、と言えば聞こえが良いですが、観光地でもない場所だったので、行商人の方が多く泊まる、いわゆる民宿みたいな存在でした。
小さい旅館でしたので、お客さんがいっぱい泊まると、食事の場所が無くなり、結果私たちが生活している部屋が食堂になっていました。

幼少時はそれも楽しく思っていましたが、少し多感な時期になると、やはり知らない他人が部屋にいる事に抵抗を覚えるようになり、食事の時間は家にいないようにする機会が増えました。
とは言え、お金もない、小学生の自分が行く場所なんてほとんどありませんでした。家を出ている時間はほとんど食事時間でしたから、友人のうちに遊びに行くことも出来ず。。。
そんな時、自分の居場所となったのは図書館でした。

小学生の子どもでも、気兼ねなく受け入れてくれる場所。
図書館にいるのは知らない他人。でも目的を同じくする他人です。
一人ではないと感じられる、その心地よい距離感が好きでした。

おそらく、私がとしょかんを設置する理由はそこにあるのかもしれません。

誰がいても良い居場所をつくる。
そんな居場所がすべてのまちにあってほしい。
でも、被災された地域や、過疎が進む地域、やもすれば都市部も、
そんな場所が見つからない状況を見かけます。

場所をつくりたいなら公民館でいいじゃない。
そう言われることもあります。
でも、「何でもしていい」と言われると、かえって何をしてよいのか分からなかったりします。(私の場合ですよ。)
なので「としょかん」という、緩やかな、本当にゆるやかな縛りがある事で、出来ることのイメージが沸きやすくなると思うのです。
としょかん、と言って館内で野球をする人はいないでしょうから。。。

だから、としょかんじゃなくても良いのです。
私たちじゃなくても良いのです。
誰がつくるかは問題ではなく、地域にそんな場所があるか、
それがあれば、それで良いのです。
すべての地域では、必ず頑張っている方がいらっしゃいます。
私たち以上に努力し、私たち以上に地域を思う方が。。
現在、準備をすすめている夕張市も、
私たちなんかより頑張っている方がたくさんいらっしゃいます。

そして、そんな方々を応援する場所として、
としょかんがあっても良いと思います。

でも、もしそんな場所が地域にないな、
あれば良いな、、
と思ったら、
その時は気兼ねなく相談して下さいね。
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長文にお付き合いいただき、本当にありがとうございます。

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